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俺の話しを聞けVol1 |
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いきなり俺の話しを聞けと言われてもどこの馬の骨か分からん奴の話なんか聞けるかというのが普通。 |
私が逆の立場だったら間違いなく聞かない(読まない) |
そこで、第1話は「どこの馬の骨はどんな奴か?」自己紹介から始めることに。 |
生誕〜就職 |
昭和29年9月 神奈川県は小田原に4人兄弟の3番目の長男として生まれる。 |
おやじの仕事の関係で1歳の時に東京都大田区に引っ越し小学校に上がる時に小田原に帰国。 |
以来50年間どっぷりと小田原弁に染まっている。 |
高校時代は彼女の関係で演劇部に入部。生徒会長など偉そうな役(これはお芝居じゃない)をやりながら、 |
一応卒業式では卒業生代表で「答辞」を読んだりしたお調子者だった。大学は勉強しなかったので、 |
日大の今は無き建築課(短大)に進みこれまた勉強しないで同じ日大の芸術学部に通っていたりしたが、 |
とりあえず3年かかって卒業。お芝居では食べて行かれないことを悟り、小さな工務店に就職。 |
即戦力ということで、現場監督。事前のアルバイト経験も活かして、活躍?したが、故あって8か月で退職。 |
スーパー時代〜現在 |
どうやって食っていこうかという矢先、スーパーマーケットをやっているおじさんにつかまりそのまま入社。 |
建築家として生きてく夢は見事に打ち砕かれる。入社のタイミングがたまたまCGCグループへの加盟と |
一致していたので、研修名目で当時のコンサルタント会社へ6か月の出向を命じられた。 |
幸か不幸かこの当時のこの当時のCGCの若手が現在の役員クラスという事で、以来スーパーの業務の中でも |
大いに活かせた経験になった。スーパーでは販売促進部を担当。1年過ぎたときよほど人材がいなかったのか、 |
新店2年目の店長で現場配属。24歳の若さではかなり無謀な扱い。現場パートさんや先輩社員からは |
おかげさまでたくさん「教育・ご指導」を受けたのがとてもいい経験だった。結局1年半で他店へ異動その店も |
1年で本部へ戻ったため現場経験はこの2年半だけしかない。 |
店長時代に当時本部にいた女性と結婚。新婚旅行は当時6日間しか特別休暇が認められていなかったが、 |
無理やり13日間ヨーロッパ旅行に、会社全体がもめて退職騒ぎにもなったが、強行突破。 |
(以来社内で結婚があるとみんな長期休暇を取って必ず私に”ありがとう”と挨拶に来た) |
そんなことはどうでもいいが、以来中小スーパーの本部で可能な限り大手のスーパーや競合に負けない体質、 |
社員が育つ風土、パートさんが働きやすい環境・制度づくり、中小企業が陥る"なあなあ"体質の改善など、 |
結構真面目にやってきた?37歳で専務になって営業全般の仕事もしたが、CI(コーポレートアイデンティティ)を |
導入、社名変更・経営理念の構築・ロゴマークの策定・社歌作成など今も残る事業をやらせてもらったのが一番印象に |
あるかもしれない。そんなこんなで45歳を迎える時、ふと「俺はあと何年この会社で働くんだろう?」と |
大きな疑問にぶつかった。もちろん何も悪いことをしていないし、誰もやめろと言われていない時期。 |
会社のトップがあと何年と計算したらダメだということに陥ってしまった。そうすると戦意も薄れ「早く辞めなければ」 |
と自分を追い込んでしまった。しかしながら年収も高い、生意気な要求も高い人間を雇ってくれる会社もなく、 |
迷走している時にたまたま辞めるにあたって、整理の必要な関連会社があったので売却の手続きをしていたところ、 |
売却予定の会社の社長(現大日運輸倉庫株式会社 長坂伸容氏)が「売ってしまうなら古川さん自分でやれば!」との発言。 |
考えてもみなかった一言に、「運送会社なんてわからないし、こんな会社」と言いながらこんな会社を売ろうとしていた |
こともあり、まじめに考えることになり、結局その方向に進んでしまった。 |
若気の至りということもあるが、長坂氏のアドバイスもあり、現専務の木下を派遣してもらい何とか滑り出した。 |
何も知らないというのは恐ろしいもので、周りから言われるままに、事業を展開、私がやり始めたことで仲間のスーパーが |
応援の仕事を出してくれたりで何とか滑り出せた。(当時の人たちには本当に感謝しています。) |
運送会社として形ができたのは、厚木に基地が出来た頃からだったと思います。従来の保管型倉庫からスルー式の倉庫、 |
どこか特定の仕事でフィックスしないフリースタンスの倉庫スタイル(KLSC)が稼働しました。 |
大手スーパーの共配から中小の共配、パン共配など様々な仕事に取り組ませていただき、ノウハウを蓄積できたと思っています。 |
平成21年55歳を迎えるに当たり、独立して10年、これからの10年を考えるとき、世襲をしないことを前提で |
やってきて、いよいよ後継者を考えていかなくてはならない時期に来たことを察知したとき、一人(一社)では |
何もできない、これから同じ環境を持つ人たち(会社)が相互に信頼し合い、助け合って、事業も承継問題も解決できる |
企業を作らなければと考えたのがLSN(エルエスネット)です。 |
自己紹介がめちゃくちゃ長くなりましたが、現在こんな心境で毎日暮らしています。 |
自分のモットーは「楽しく生きる」 |
自分が楽しく生きるためには周りのみんな(社員・関連会社・世の中)が楽しくなければいけない。 |
そのための労力は惜しまない。 |
普段は孫に「ジージ」と呼ばれ目じりをたらしているおじさんです。これからもよろしく! |
次回は真面目に業界を!世の中を!切っていきますよ!!! |
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