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俺の話しを聞けVol21 力士という哲学
 
 前代未聞の不祥事の連続で存亡の危機に立たされた大相撲。春場所の中止に加え大量の処分者を出し、再発防止策を
 検討・試行錯誤する中で開いた5月の技量審査場所の結果、名古屋場所では処分者の補てんも含めて戦後最多の13人の
 力士が十両昇進を果たしました。その中に報道陣が最もその昇進を喜んだ力士がいました。
 
 チェコのプラハ出身、鳴戸部屋の「隆の山(たかのやま)・本名バヴェル・ボヤル」28歳。幼い頃父親を亡くし、
 母親に育てられながら柔道など格闘技で倒閣を現し、国立の格闘技の専門学校時代に相撲と出会い、世界相撲選手権軽量級で
 3位入賞、18歳で角界に飛び込みました。その時、本人が心に誓ったことは「十両に上がるまでは、二度とプラハの地を
 踏まない」でした。母親をチェコに残して単身日本へ来た時は、すらりと背が高くフサフサの金髪をなびかせる映画俳優の
 ような東欧のイケメンでした。187センチ90キロの筋肉質の体型で投げ技の切れが鋭く、3年もかからず幕下へ駆け
 上がりました。このまま順調にいけば5年で故郷プラハに錦を飾れると本人も周りも期待しました。しかし出世は幕下で
 ピタリと止まりました。最大の理由は体重が増えなかったことです。筋肉質の体、なかなかなじめない日本の食べ物。そして
 よく分からない言葉。
 6年が過ぎ7年が過ぎ8年が過ぎ・・・あとわずかのところで昇進を逃しても腐らず、ただひたすら稽古に打ち込み続けた日々。
 「十両に上がるまで故郷へは帰らない」という言葉も悲壮感を通り越して、もういいんじゃないのかと周りが言い出すように
 なっていました。フサフサだった金髪もすっかり薄くなり、幕末の武士の様な風体に変貌していました。言葉が分からず、
 食べ物も合わず、先が見えない中でただひたすら稽古に励み、我慢に我慢を重ねて過ごした10年。
 一言で10年といいますが、もし今の日本の若者で18歳でチェコに渡り、10年日本に帰らず一つの事に打ち込める人が
 何人いるでしょう。隆の山の相撲に取り組む姿勢は実に真摯です。風体が幕末の武士と書きましたが、その精神もまた志士
 そのものです。故郷の家族にお金を送りたいという気持ちは人一倍強いと思いますが、そのような態度は臆面にも出さず、
 ただひたすら強くなりたいとのみ願っているように見えました。
 
 ヨーロッパでは大相撲が大変人気があるとEUの駐日大使が国技館を訪れたときの挨拶で話していました。次々と相撲クラブが
 出来て選手権や国際オープンの大会が開かれているそうです。その人気の理由は「伝統とシンプルさ」だと欧州出身の力士は
 口を揃えます。1500年の歴史とその歴史の中で受け継がれてきたひとつひとつの所作や装束などに意味があることに興味を
 持ち、その精神性を理解するところから相撲の世界に入るそうです。5月の技量審査場所では表彰式が無かったこともあり、
 いつもお客さんもまばらになった表彰式の最後に行われる「神送りの儀式」が多くのファンの目にとまりました。
 初日の前日行われる土俵祭りで、天から土俵に向かい入れた勝負の神様を、無事に場所が終わった感謝を込めて天に返す儀式で、
 若い行司が御幣を持ち新弟子たちが胴上げをします。これが現在色々な場面で目にする胴上げの原型とも言われています。
 大相撲には神事、伝統芸能、格闘技、興行の側面があり、時代によって様々に形を変えていきます。国を分ける神話から
 スタートし、御所の庭で皇室に愛され、戦国大名の庇護を受け、織田信長にもよろこばれ、徳川歴代将軍にも大切にされ、
 そして江戸庶民の娯楽となり、幕末には新撰組の資金源にもなって、そして昭和天皇の皇太子時代の御誕生祝賀相撲を記念して
 造られた天皇賜杯を目指して今の力士たちは戦っています。
 その時代その時代で力士を取り巻く環境は大きく姿を変えています。しかし全く変わらないものもあります。それは力士とは
 何か?どうあるべきの精神です。「力士は心技体を日々鍛錬し続けることを本分とし、より鍛錬し続けた力士に勝負の神様は
 ほほ笑む。そして命がけで戦う相手もまた同じように日々鍛錬している。その相手の努力の日々に敬意を払い、礼を尽した上で
 全力で技量を競い合う。その努力は必ず報われるべきものであり、そのチャンスは全ての人に平等でなければならない。」
 
 かつて双葉山が時津風親方時代、弟子の豊山が大一番に勝てずに悩んでいる時に言った「勝ち負けは相撲の本質に非ず、
 日々の鍛練こそ相撲なり。勝ち負けを考えずいつものようにやればいい。」という言葉は、まさに力士とは・・・の問いに
 対する答えです。この本質が急速に歪んできたのはバブル崩壊後の不景気の中で大学卒業力士が大相撲を職業と位置付け、
 入門を就職と考えたことと、モンゴル力士が出稼ぎの場として大相撲を認識していたことです。仕事では、哲学や精神より、
 収入・ノウハウ・組織論・権利意識等多くの事が支配していきます。そして多くの日本人力士やモンゴル人力士が力士としての
 本分を見失いかけてきたここ十年間を力士の本分を唯一の心の拠り所に、ただひたすら強くなりたい、努力は報われるはずと
 信じて相撲に打ち込んできたチェコの若者は見る者の心を打ちます。日本相撲協会に就職したわけではなく、力士であり続けよう
 としているからです。力士の本分を悲壮なまでに貫いているからです。この力士の本分・本質が変わらない限り、大相撲はいつの
 時代も日本人から愛されるはずです。これを崩そうとするものがその時代の中で存在するならば、取り除かなければ大相撲では
 なくなってしまいます。大相撲は職業ではありませんし、まして力士という仕事はありません。あるのは千五百年もの
 変わらない力士という哲学だけです。
 
 故あって上記の執筆者の名前は出せないのですが、我々の業界は日々結果を求められますが、相撲の世界の美学が伝わってくる
 文章でしたので掲載しました。
 
 
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