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俺の話しを聞けVol80 「フィリピンという国」
 
 仕事柄?年2〜3回海外に行くことがある。一緒に行く人の関係で時間に制限があるため、東南アジアに行く機会が多くなる。

 今回はフィリピンで何度か誘いはあったがタイミングが合わず今まで行かれなかったので、初めての訪問になる。

 国土の面積は30万ku弱(日本の8割の広さ)だが7100以上の島で構成される群島。

 人口は9400万人強で、未だに人口は伸びている。
 公用語はタガログ語だが共通語で英語を使うので、どこへ行っても英語で通じる。立憲共和制の政体を取っているが、
 一部の役人や力のある人間に権力、お金が集中して一般人の生活は非常に貧しい。経済の柱は農業だが貧しい。

 日本にいるフィリピンの人達を見ると陽気で楽しいので、どんな生活をしているのか非常に興味があった。

 セブ島やリゾート地はわからないが、今回の滞在地はマニラで事前に治安が悪いと聞いていたようだが、
 他のアジアの国でもさほど変わらないと思っていたが、この国だけは違うようだ。夜は客引きのお兄さんを先頭に
 なんだかわからない人間がそこかしこにたむろしている。積極的にモノを売りに来る人や声をかける人はまだしも
 何人かでじっと見られると確かに恐怖を感じる。早朝食事が終ってホテル周辺を友人と散歩したが、
 ホームレスや何をしているか分からない人がウロウロしていてこれまた不安。とても一人では怖くて歩けない。
 最低気温が26度くらいにしかならないので、どこにいてもしのげるからおそらくホームレスも日本のようにダンボールや
 ブルーシートはいらないのだろう。貧しいと言えば、飛行機の中からも見えたが、トンド地区という場所がある。
 通り沿いの「家」がみな、トタンやベニヤで囲ってあるだけ。中には入れないがおそらく6畳くらいの場所を囲って、
 6〜7人くらいの家族が暮らしているのだろう?子供たちは裸で駆け回り、大人たちは外で何やら話しをしたり、
 洗濯をしたりしている。同行者が昔の「基地」を思い出すねと言ったが、私は戦後の焼け野原に立つバラックを想像した。
 興味本位でその地に行ったが、皆言葉を失った。車で何分も走りすぎる間がその地区なので、
 相当数の人間がこの地で暮らしているはずだ。
 抜け出せないままいつまでこの地に暮らすのだろう?どうしたら変われるのだろうか?自力?政治?資本主義?共産主義?
 少しばかり見たくらいで解決できるならとっくに変わっているだろう?
 ただ、子供たちの顔は明るい。目は澄んでいる。僕らが心配することでもない。この明るさがあれば、

 おそらく20年から30年後にはきっと彼らが這い出して新しい社会を作るのだろう!

 私達は戦後社会でバラックから這い出て今の日本がある。スイッチを入れれば電気がつく。蛇口をひねれば水が出る。
 24時間お金さえあれば何でも買える。食べたいものはいつでも手に入り、余ったものは捨ててしまう。

 何でもあるのが当たり前の生活をしていると過去の事は忘れてしまうし、挙句、全て自分自身で勝ち得てきたような

 錯覚をしてしまう。当然賀古には戻れないし、戻る必要もない。ただ、僕たちにも過去があり、
 貧困の時代を抜け出してきたという歴史認識だけは持っていたいものだ。

 おごれるものは久しからず。ただ、春の夢のごとし。

 
 
 
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