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俺の話しを聞けVol100 「たかが盆踊り、されど盆踊り」
 
 私の音楽仲間の高村君という人がいます。前々から知ってはいましたが、親しく話すようになったのはごく最近の話しです。

 彼は3.11の震災以降、ずっと続けて個人や彼の会社で支援活動を続けてきています。私も陰ながら知ってはいましたが、

 話すタイミングが無くて時間だけが過ぎていました。今さらながら言うわけでもありませんが、

 直後は日本中が、そして世界中が「絆」とか言って、一人じゃないよ、みんなが支えて行くよ!なんてきれい事を並べて、
 (それはそれで重要な事だが)支援活動をしてきました。原発の問題もそうですが、徐々に震災は過去の事になってきています。
 福島の人達に放射能呼ばわりし、がれきの受け入れを拒否し、仮設住宅で暮らしている人達が無能な人間のような扱いが
 始まっています。ご存知のように東北と大きく括れば、かなりの地区が復興しよみがえってきていることは確かです。

 そうなっていかなければいけないと思います。

 ただここで言えることは、復興出来た地区はあるが、出来ていない(始まってもいない地区)がたくさんある事を僕たちは

 知っておかなければならないという事です。
 高村君には2か月前くらいから、何とか被災地に連れて行って欲しいと頼んでいました。ここで難しいのは、
 被災地に格差がありすぎて、例えば仙台などははっきりもう支援は要りませんと断られてしまいます。市役所やボランティアの
 一部の方も格差に目をつぶっているところがあるようです。また、支援団体もメディアがついてくるとか、
 政治的な背景があるとか、または売名行為の効果が期待できるとかでないと動きづらいというのが現状のようです。
 今回高村君から依頼されたのは、宮城県の石巻にある「追波川(おっぱがわ)仮設団地」で夏祭りと盆踊りを踊らせたいという
 企画に小田原チームとして協力させてもらうという話しでした。仮設団地の中でも大川小学校地区(津波によって学校内に
 避難したほとんどの住民が被災した地区)周辺の多くの方が家族を失ってしまった方々が多く住む団地で
 とりあえず明日の事が考えづらい今をどう乗り切るか必死になって生活している場所のようです。
 復興して自律していける方々は、良しとしてこういった地区では目標を失い、あまり報道されていませんが、
 自殺者も多く出てしまっている地区の一つです。
 今回は「石巻市復興を考える市民の会」の代表の藤沢氏の呼びかけで全国各地からボランティアが集まって
 この団地で盆踊りを踊ってもらおうと結集しました。
 テレビカメラも報道の取材も何もありません。高知からバスを仕立てて中学生が校歌を歌ってくれて、
 そうめん流しをやってくれました。群馬から炊き出しに新鮮なトウモロコシを焼いてくれました。
 ヨサコイそうらん踊りも披露してくれました。手品をやってくれたおじさん。山形から太鼓のパフォーマンスをして
 花笠音頭の男踊りも見せてくれました。
 他にも炊き出しや歌でおそらく総勢で300名くらいのボランティアが応援に駆けつけてくれました。
 日本もまだまだ捨てたもんじゃない。
 そんな多くのボランティアの中でも今回のメインのカラオケ大会・盆踊りの段取りを小田原チームが仕切らせてもらいました。
 ステージは私が役員をやっている商店街から会長の了解を得て会場までトラックで運び、盆踊りのやぐらは「つくろい」という
 高村君の会社の社員が全員で会場入りして組み立てるという壮大な計画でした。カラオケも歌の好きなお年寄りもたくさん
 いるようですが、中々仮設の中ではそれもかなわないという事で、炎天下の中でしたが、皆さん楽しそうに歌っていただけました。
 そして太陽も静かに沈みゆく頃、いよいよ盆踊りの始まりです。震災以来炊き出しや様々な支援は受けられたようですが、
 盆踊りを出来る状況が無かったようで、皆さん心待ちにしていたようで、会場のセンターにやぐらが立ち、
 小田原提灯が点灯すると多くの方々が集まってくれました。ステージに民謡の歌手が太鼓が三味線が鳴り出すと、
 それまでバラバラの集団が大きな円を描き、太鼓の音に歌手の歌声に合わせて一斉に踊りだしました。
 追波川の仮設・やぐら・ステージという取り合わせそこに流れる「相馬盆唄」そして会場の被災者はもちろん
 多くのボランティアの「輪」
 盆踊りは子供会の夏の行事の一環としか認識していない私にとってこの光景がとても神々しくとても素敵な世界に見えました。
 徹夜で500km離れた石巻まで来て炎天下の中、汗をかきながらお手伝いをさせていただき、睡眠不足と疲労感で
 足が棒のようになっていましたが、この光景を見た瞬間に涙が止まらなくなってしまいました。
 踊りが始まって25分休まずに「相馬盆唄」を踊り続ける真剣な姿。おそらく震災で亡くした家族の事を考え、
 離れ離れになった親戚や兄弟の事を想い、明日どうなるかわからないが今、この瞬間、この踊りに入り込むことで全てを忘れ、
 没頭できる空間なのかも知れない。
 そこには僕らも入れないかも知れないが、この時間を共有出来た事はとても素晴らしいことだと思った。
 分かったような事は何一つ言えないが、今彼らとここにいる事だけは確かな事だ。
 片付けも終わり、主催者の藤沢氏が帰りがけに僕の所にやってきて、お礼の言葉のあと主催者の思った以上の事が出来ました。
 僕らが感動させてもらえましたと言われたとき、
 震災は終わっていない。
 僕にとって今日は終わりでなく始まりの日だという気がしました。
 世の中で大変なところはここだけではない。日本中あちこちに大変な事はたくさんある。
 気付いた人が気付いた時に少し手を差し伸べるだけで、きっとその人も自分も幸せになれる。
 大したことをやる必要もない。
 出来る事をやれば良い。
 たかが盆踊りに涙が出た。自分にはまだまだ日本人の心があると思えた。
 こんな時間を作ってくれた全ての人達に感謝!感謝!
 
 当日のアルバムへのリンクです。
 
 
 
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