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俺の話しを聞けVol120 「ワールドカップ」
 
 間もなくブラジルでサッカー試合の最高峰。ワールドカップが始まる。昨日のニュースで

 三浦知良選手が特別スタッフで召集されることが発表になった。選手でないのが残念だが、

 彼の人生でワールドカップに関われないという事を考えたら、隠れサッカーファンの私にとっては

 この召集はとてもうれしい。そもそも私が中学生の時にやっていたサッカーと言えばよく「百姓一揆」と

 言われ、やみくもに一つのボールを追いかけまわし、困ればタッチラインにボールを外し、キーパーに

 ボールを返した。(当時のルールではバックパスでキーパーにボールを返しても反則にならなかった)
 今のサッカーをやっている人には考えられないだろうが、リフティングなんて言葉も聞いたことが無いし、

 「ボランチ」なんて言葉も無かった。当時はセンターフォワード、ウィング、ハーフ、バックでフォーメーションを

 組んで試合に臨んでいた。時代は移り変わり1980年に始まった「キャプテン翼」という漫画が世に登場し、

 小学生がワールドカップを目指してサッカーに取り組むストーリーが僕らにはあまりにも非現実的であったが
 夢のような出来事だった。当時の日本代表と言えば釜本選手などがいたが、テレビの露出も少ないし、

 一部リーグの試合と言っても観客も少なかった。ましてやワールドカップに挑戦するなんて話しも

 一般の人には聞こえてこなかった。
 1993年に日本のプロサッカーチームによるリーグ戦が「Jリーグ」として開幕した。国内のチームは
 強化するために世界中からスーパー選手を集め試合に臨んだ。それまでの国内リーグでは見られないハイレベルの
 戦いが日々行われた。世界レベルのパス回しや、シュート戦略的なフリーキックなど、見ていて楽しい試合が間近で
 見られるようになった。このJリーグの牽引者になったのが三浦選手だった。
 彼は当初から選手としてのプライドや、日頃の振る舞い、言動やファンサービスの手本となった。おそらく現在の選手の
 中でも彼を否定する人はいないのではないだろうか。
 プロリーグが発足して、いよいよワールドカップの出場も目の前に来た。1994年のアメリカ大会の予選で、
 イラク代表との最終戦。この試合に勝てば出場できるという大きな期待を寄せた試合だった。2対1で後半のロスタイム
 残りあと1分というところでまさかの同点ゴール。曜日は覚えていないが深夜12時頃テレビ観戦していた
 私は言葉を失って呆然としていた。いわゆる「ドーハの悲劇」というやつだ。日本がワールドカップに行ける。
 カズがワールドカップに行ける切符を目の前で取られてしまった。今考えればそんなにムキになる事でもないと思うが、
 その後かなりショックで落ち込んでいた記憶がある。それから4年後、1998年フランス大会。
 メンバーも充実し国際大会にも慣れてきて今回は行けるぞ!と国内も盛り上がってきた。
 ちょうどそのころ「翼をください」がサッカーファンの中でことあるごとに唄われていた時期だ。
 「ジョホールバルの歓喜」と言われたマレーシアでのイラン戦延長戦で岡野が決勝ゴール。日本が初めて
 ワールドカップに出場できる瞬間だった。もちろんカズも自分がいけると確信していたと思う。
 ところが大会に向けての合宿地スイスで最終メンバー発表の時、まさかの落選。未だに理由はわからないが、
 サッカーファンにとってはあり得ない発表だった。
 (ちなみに私は未だに落選させた岡田監督が好きになれない。理由はこの事件だけ。)
 高校を中退して日本サッカーの為に単身ブラジルに行き、本場のサッカーを体験し本当に日本のサッカーの歴史に
 名を遺した彼に対しての最大の屈辱だったと思う。
 今回の特別スタッフの意味するところがどこかわからないが、どんな意味であれ彼が日本代表と一緒にあらためて
 日本代表にエールを送りたい!!
 
 
 
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