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俺の話しを聞けVol138 「3.11がもたらしたもの」
 
 2011年3月11日14時46分18秒、宮城県牡鹿半島の東南東130km。

 仙台市の東方沖70kmの太平洋の海底を震源とする東北地方太平洋沖地震が発生した。

 地震の規模はマグニチュード9.0で、発生時点において日本周辺における観測史上最大の地震である。

 震源は広大で、岩手県沖から茨城県沖までの南北約500km、東西約200kmのおよそ10万平方

 キロメートルという広範囲全てが震源域とされる。最大震度は宮城県栗原市で観測された震度7で、

 宮城・福島・茨城・栃木の4県36市町村と仙台市内で震度6強を観測した。
 この地震により、場所によっては波高10m以上、最大遡上高40.1mにも上る巨大な津波が発生し、

 東北地方と関東地方の太平洋沿岸部に壊滅的な被害が発生した。また、巨大津波以外にも地震の揺れや液状化現象、

 地盤沈下、ダムの決壊などによって、北海道南岸から東北を経て東京湾を含む関東南部に至る広大な範囲で被害が発生し、

 各種インフラが壊滅的な被害にあった。2015年1月9日時点で、震災による死者・行方不明者は18,483人、
 建築物の全壊・半壊は合わせて401,567戸が公式に確認されている。震災発生直後のピーク時においては、

 避難者40万人以上、停電世帯は800万戸以上、断水世帯は180万戸以上等の数値が報告されている。復興庁によると、

 2014年12月11日時点の避難者等の数は233,512人となっており、避難が長期化している。日本政府は
 震災により直接的な被害額を16兆円から25兆円と試算している。この額は被害が大きかった岩手・宮城・福島の
 3県の県内総生産の合計に匹敵する(阪神・淡路大震災では兵庫県1県の県内総生産の半分ほどであった)
 世界銀行の推計では自然災害による経済損失額としては史上1位としている。
 さらに、地震から約1時間後に遡上高14−15mの津波に襲われた東京電力福島第一原子力発電所は全電源を喪失。
 原子炉を冷却できなくなり、1号炉・2号炉・3号炉で炉心溶融(メルトダウン)が発生。大量の放射性物質の漏洩を
 伴う重大な原子力事故に発展した。この事故は国際原子力事象評価尺度で最悪のレベル7、チェルノブイリ原子力発電所
 事故と同等に位置づけられているが4年たった今も放射能を撒き散らして収束しない点ではそれ以上の事故と言える。/span>

 同原発の立地する福島県浜通り地方を中心に、周辺一帯の福島住民の避難は長期化するとともに、2012年からは

 「帰宅困難区域」「居住制限区域」も設定された。その他に火力発電所等でも損害が出たため、東京電力の管轄する
 関東地方は深刻な電力不足に陥り、震災直後の一時期には日本国内では65年ぶりに計画停電が実施された。
 今更振り返ってみても震災の大きさ、震災による影響は計り知れないと同時に、今なお解決の目途さえ立っていない
 問題が山積している。被災していない方の多くは「過去のこと」になってしまって、被災された方でも新しい生活を始めて
 すでに過去の事になってしまっている方もいる。ある意味では仕方がない事ではあるが、いまだに20万人以上の方々が
 避難生活を続けていることは忘れてはならない。またその多くの方は原発事故の放射能によって帰宅困難区域に指定され
 天災とは関係のない原因で元の生活に戻れないでいる。
 震災以降復興の手が様々加わってきたが、時間経過とともに「過去」になってしまい、その手も徐々に外れていく。
 本来国が何としてでも最後の一人まで責任を持つものだと思うが、今では政治家のパフォーマンスに使われるか、
 お慰みの予算を計上するにとどまってきている。(もちろんそうでない人もいるだろうが)
 震災以降それまで当たり前のことが大きく変わった。/span>

 大手の工場が集中を避け東と西に分散させる。物流基地として海沿いは便利という概念が「津波」というキーワードを

 いかにクリアするか新たに加わった。原発は安全という神話は全くもって消え去った。
 (とはいえ再生エネルギーに対するギアチェンジはなかなか行われないが)
 インフラ全般に対する既存のスキームはほとんど見直された。社会システムにしても役所の戸籍が失われるという事態も
 全く想定できなかったし、個人のつながりも一気に変わった。
 「絆」という言葉も多く使われた。片方で心配しています。何でも応援しますと言ってはいたが、
 いざ「瓦礫」の受け入れとなると拒否をするという自分勝手な考えも露見した。
 時間の経過とともに人々の関心は過ぎ去ってしまう。そういう私も何かきっかけがないと「過去」の事になってしまう。
 天災に関する様々な教訓がこの震災によってもらたされた多くの犠牲を糧に私達は今生活している。
 「災害は忘れたころにやってくる」とは言うものの「忘れてはいけない災害」という事をもう一度確認しておきたい。
 
 
 
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